自分に自信をもつということ。
自分に自信がない。
自己肯定感が低い。
子どもの頃からずっとそうだった。
自分には何も取り柄なんてない。
そう、思っていた。
最近良く、まわりから言われること。
「なぎさんは強いね。つらい事から逃げない」
けど、自分ではそう思わない。
むしろ、自分は弱い人間だと思っていた。
だけど。
今日のカウンセリングでそのことを話すと、心理士さんからこう、言われた。
「なぎさんの"強さ"っていうのは、ブレない強さではないのよ。むしろすごく気持ちが揺れるの。揺れて揺れて、でも、最後は逃げないで困難に立ち向かう。なぎさんは、そういう強さをもっているのよ」
そう言われて嬉しかったけど、やっぱり自分ではしっくりこなかった。
正直にそう言うと、心理士さんは続けてこう言った。
「いままで自分がしてきた経験を、誰かの役に立てたい。自分のようなつらい思いを、他のひとにはして欲しくない。だからこそ、自分にしか出来ないことがある。そう思ってるなぎさん、私はとっても素敵だと思うわ」
確かに私は、SNSや療育の仕事をとおして、自分の経験が、想いが、誰かに伝わればいいと思っているし、すこしでも役に立てばいいと思っている。
でも、まさかそれを"素敵"と言ってもらえるなんて思いもしなかった。
何故なら本当に、自分に自信がないから。
そんな私へ向けて、心理士さんがある言葉をノートに書いてくれた。
「なぎさんの素敵なところ。
自分の日常が大変な事があったり、苦手な事であふれていても それでもなお、人の役に立ちたい、励ましたい、支えられる人間でありたい、と奮闘しているところ」
嬉しかった。
そしてこの言葉を見て、私は思った。
すこしずつ、ほんのすこしずつでいいから、自信をもっていこうかな、と。
そしたらいつか、胸を張って生きることが出来る日がきっとくると思うから。
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主治医と、私。
ある日の診察で、主治医から言われた言葉が私を混乱させた。
「なぎちぃさんは知的障害ではないと思う。発達障害とも言える。9年前の知能検査で動作性IQが低く出たのは、体調の悪い時に検査したからでは」
確かに、動作性IQは鬱状態のときは低く出る傾向があるらしい。ただ、私はそんな事はなく、きちんと体調の良い時に検査をしたのに…
9年前、知的障害と判った時。
私はひどく安心した。
今まで頑張っても出来なかった事はすべて、障害のせいだと判ったから。自分の努力不足ではなかったから。
なのに。
主治医からの何気ない言葉で私は不安になった。
知的障害でなければ、出来ない事が多いのは"甘え"なのだろうか。
やはり私はただの努力不足な人間なのだろうか。
そして、私は嘘をついて療育手帳を持っているのだろうか、と。
だとしたら、そんな事を軽くは言われたくなかった。
私がどんな思いで自分の障害を受容してきたかも知らずに。
不安定な日々は続いた。
毎日思い悩んで、時には涙が止まらなくなった。
でも、このままじゃいけない。
そう、思った。
ある日の通院日。診察室に入った私が主治医に渡したノート。そこにはこう書いた。
「お薬はそのままでいいので、おはなしを聞いて頂きたいです」
そしてゆっくりと、はなし始めた。
9年前、今まで出来なかった事は障害のせいだと判って安心した事。
私は努力不足のダメ人間だと思ってたけど、それは違うと自分でも思えた事。
でも主治医のひと言で、まるで、嘘をついて療育手帳をもっているかのような罪悪感に苛まれている事。
そして正直、主治医を変えようか迷ったけど、○○先生は優しいし話やすいから変えたくない。だからこそ、今こうして私の気持ちを正直に話しているのだという事。
最後には泣きながら、震えながらはなした。
主治医は黙って、聞いてくれた。
そしてひと言「疑っているわけじゃないんだ。でも、すみませんでした」と、理解を示してくれた。
その後、9年振りに知能検査(WAIS-III)を受け、改めて軽度知的障害だと診断された。
ほっとした。
今は主治医との関係は良好で、あの時勇気を出して気持ちをはなして良かったと思っている。
そして、今となっては私の良き理解者になってくれた主治医。
改めてこの先生で良かったと思ったし、自分の気持ちを、考えを、きちんと伝える事の大切さを学んだ出来事だった。
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やりたいと思う、気持ち。
「お仕事がしたいんです」
カウンセリングで、そう心理士さんに相談した。
するとこう言われた。
「A型事業所、どうかしら? 支援も付くし、はじめは、自分のペースで働けるし。そこに毎日通えるようになったら、次に一般就労を目指すべきじゃないかしら」
「なぎさんはいつも初めから一等賞を目指し過ぎるのよ。一等賞になるには、まず、準備体操をして試走をして、初めは入賞を目指して。それが出来たら次は一等賞を目指すのよ。A型事業所は、その準備期間」
去年の春頃、自ら見つけた求人に応募し、採用された。
支援機関は付いていなかった。
待っていたのは「イジメ」とも取れる数々の嫌がらせだった。
・お給料を振り込んでもらえない。
・職場のグループLINEで無視される。
・ミーティングの資料に私だけ名前をいれてもらえない。
これらをされて「嫌だ」という気持ちを、上手く職場に伝えられなかった。
案の定体調を崩して職場に通えなくなり、辞めざるを得なかった。
それを、心理士さんは知っているから。
だからA型事業所を勧めてくれたのだ。
私は、その通りに動かなければ、と思った。
自分の判断能力が甘いと分かっているから、自分の思いは二の次で、言われた通りにしなければ、と。
市役所へ行き、A型事業所の相談をしたりした。
だけどそのうち、毎日のようにとてつもない離人感が襲ってくるようになった。
2週間後、カウンセリングで離人感の事を話すと共に、自分の素直な意見をぶつけた。
「お仕事がしたい。2週間前、そう言った時に、本当は応援してもらえると思った。やりたい事やりなさいと、言ってもらえると思った」
「私って本当に中途半端な人間だと思う。見た目も普通、喋っても普通。でも普通に出来ない事が多い。こんな中途半端な障害なんて要らない。どうせなら、もっと重い障害者として生まれたかった」
本心だった。
それを聞いた心理士さんは、こう言った。
「…もしかしたら、なぎさんが傷付いたり悩んだりする権利を奪うべきではないのかもね。でも私はカウンセラーという立場だから。なぎさんが出来るだけ傷付かない方法を提案しなければならなかった。だけど、それは私のエゴだったのかもね」
「離人感が酷くなったのは、私がA型事業所を勧めたからよね。一般就労をしたら、傷付いて、落ちる事があるかもしれない。でもそしたらまた、一緒に悩んで傷付いて、立ち上がれば良いかな☺️」
その言葉を聞いて、心のなかのもやもやが一気に晴れた気がして、嬉しくて、涙が止まらなかった。
これは、その時のカウンセリングで最後にメモした言葉です。
────────ここまで読んで下さってありがとうございました。
私と、療育。
もともと子どもが好きだった私。
就労移行支援センターで就活をするにあたり、保育園での保育補助の仕事を目指していた。
そのために、保育の勉強をした。
その勉強をするなかで、特に興味を持ったのが"障害児保育"と"病児保育"だった。
「いつか、この分野で働きたい」
そう、思った。
しかし、そう上手くは行かなかった。
無資格、未経験、障害と精神疾患もち。
そんな私を採用する保育園はどこにも無かった。
諦めかけていた矢先。
相談に行ったハローワークで紹介されたのは、初めて耳にする場所の指導員の仕事だった。
放課後等児童デイサービス。
調べてみると、そこは障害をもつ子どもたちの学童のような場所で、療育をおこなっている所もあると知った。
私は20歳まで知的障害が分からなかった。
そのため療育を受けられず、結果強迫性障害という二次障害を発症した。
だから、誰よりも、子どもの頃受ける療育の大切さを分かっていた。
私にしか出来ない療育があるのではないか。
そう思って、紹介された放課後等児童デイサービスの指導員の仕事に応募した。
履歴書にも、自分のこの思いを素直に書いた。
結果は、採用。
指導員として働く事が出来た。
そこを退職したあと、休養期間を経て、別の放デイに就職した。
残念な事にそこでは人間関係に恵まれず、体調を崩し退職となったが、次も療育現場で働きたいと思っているし、これからも当事者の私だからこそ出来る療育をしていきたいと思っている。
最後に、私が療育を通じて子どもたちにいちばん伝えたい事。
それは、
「障害をもっている事で、悔しい思いやつらい思いもたくさんするけれど、それでも、一生懸命生きていれば必ず誰かが見ていてくれるから。そして、あなたにしか出来ない事が、きっとあるから」
──────────ここまで呼んで下さってありがとうございました。
出来ないと言う、勇気。
未だに自分の"頑張っても出来ない事"が分からない。
20歳まで私は、出来ない事があるのは、自分が努力の足りない人間だと思っていたからだ。
今まで思っていた。
「頑張れば出来るのではないか」と。
でも私は、ある日のカウンセリングでの、心理士さんの言葉で変わった。
「頑張れば出来ると思ってしまうんです」
という私に心理士さんは、
「なぎさんは、お金の計算と時間の計算は頑張っても出来ません。頑張らなくて良いです。誰かに頼りましょう。そして、一緒にやってもらいましょう」
と、言った。
「頑張っても出来ません。頑張らなくて良いです」
この言葉が、心に響いた。
頑張らなくて良いんだ。
だって、出来ないのだから。
その瞬間、今まで「頑張れば出来るかもしれない」に縛られていた私の心は楽になった。
これからは、出来ない事は出来ないと言おう。
そして、まわりの人を頼ろう。
ようやく、そう、思えた。
今の私は、少しずつ、出来ない事を人に頼る事が出来るようになって来たと思う。
そのお陰で、日常生活も大分楽になって来た。
"出来ない事を出来ないと言う事"。
私はこれに、9年かかった。
でも、それも私らしいなと思う。
振り返れば私の人生は、何事も本当にゆっくりな歩みなのだから。
────ここまで読んで下さってありがとうございました。
そんな日もあるさ。
「また、眠れない────」
これは夜中に私が友人に送った、LINE。
たまに訪れる、眠れない日。
この日もそうだった。
眠気が来ず、焦り、時間だけが過ぎていく。
そのうち夜明けが来て、外が明るくなり始めた頃。
眠れない事を相談した私に、友人はこう言った。
「そんな日もあるさ。365日もあるんだし。毎日上手くいくはずなんてないよ」
何気なく、言われた言葉。
でも、何故かものすごく、心が楽になった言葉だった。
そしてそれは、眠れない事だけではなく、私の日常の考え方すべてを楽にしたのだ────
毎日完璧を求めていた。
ちゃんと、やらなければ…
ちゃんと、頑張らなければ…と。
自分は人一倍頑張らないと、みんなと同じになれないから。
そしていつしか「頑張る」が私の口癖となり、同時に自分を苦しめていた。
そんな私を、友人のこの言葉が、楽にしてくれたのだ。
"完璧を求める自分"から、解放された瞬間だった。
だからこれからは、上手くいかなくても、失敗しても良い。
「頑張る」を口癖にするのを、やめよう。
そして、こう、呟こう。
「そんな日もあるさ」と。
────ここまで読んで下さってありがとうございました。
私は私のままで、生きていこう。
"私は、ふつうに生まれたかった。みんなと同じになりたい。障害も病気もなくしたい。そうしたら、私はもっと幸せになれるのに…"
これは、カウンセリングで心理士さんに見せるノートに吐き出した、文章の一部。
つい、2ヶ月前の事だ。
心の中にある「ふつうになりたい」という気持ちが爆発した時期だった。
健常な人が羨ましい。
健康な人が羨ましい。
みんなの中にいると、やっぱり自分は違うんだなと実感させられるから、つらかった。
こんな素直な気持ちを吐き出すと、心理士さんは、こう言った。
「そんなあなたが好きな人がいてくれるんじゃないかしら。少なくとも、今まわりにいる人たちはそうだと思う」
その言葉で、私は気付いた。
みんなと同じになれなくても良い。
私は私で良いんだ、と。
何故なら、私のまわりには、こんな私を受け入れてくれる人たちがいるから。
家族、友人、そして彼。
こんなにもたくさん、いてくれている。
だから、私は私のままで、生きていこう。
そう、思った。
みんなよりも苦手な事が多くて、ずっとずっとゆっくりのペースで生きてる私だけど、そんな自分を受け入れて生きていこう。
そして、これからは、ありのままの私でいよう。
ようやくそう思えたとき、心がスっと軽くなって、涙が止まらなかった。
────ここまで読んで下さってありがとうございました。