やりたいと思う、気持ち。
「お仕事がしたいんです」
カウンセリングで、そう心理士さんに相談した。
するとこう言われた。
「A型事業所、どうかしら? 支援も付くし、はじめは、自分のペースで働けるし。そこに毎日通えるようになったら、次に一般就労を目指すべきじゃないかしら」
「なぎさんはいつも初めから一等賞を目指し過ぎるのよ。一等賞になるには、まず、準備体操をして試走をして、初めは入賞を目指して。それが出来たら次は一等賞を目指すのよ。A型事業所は、その準備期間」
去年の春頃、自ら見つけた求人に応募し、採用された。
支援機関は付いていなかった。
待っていたのは「イジメ」とも取れる数々の嫌がらせだった。
・お給料を振り込んでもらえない。
・職場のグループLINEで無視される。
・ミーティングの資料に私だけ名前をいれてもらえない。
これらをされて「嫌だ」という気持ちを、上手く職場に伝えられなかった。
案の定体調を崩して職場に通えなくなり、辞めざるを得なかった。
それを、心理士さんは知っているから。
だからA型事業所を勧めてくれたのだ。
私は、その通りに動かなければ、と思った。
自分の判断能力が甘いと分かっているから、自分の思いは二の次で、言われた通りにしなければ、と。
市役所へ行き、A型事業所の相談をしたりした。
だけどそのうち、毎日のようにとてつもない離人感が襲ってくるようになった。
2週間後、カウンセリングで離人感の事を話すと共に、自分の素直な意見をぶつけた。
「お仕事がしたい。2週間前、そう言った時に、本当は応援してもらえると思った。やりたい事やりなさいと、言ってもらえると思った」
「私って本当に中途半端な人間だと思う。見た目も普通、喋っても普通。でも普通に出来ない事が多い。こんな中途半端な障害なんて要らない。どうせなら、もっと重い障害者として生まれたかった」
本心だった。
それを聞いた心理士さんは、こう言った。
「…もしかしたら、なぎさんが傷付いたり悩んだりする権利を奪うべきではないのかもね。でも私はカウンセラーという立場だから。なぎさんが出来るだけ傷付かない方法を提案しなければならなかった。だけど、それは私のエゴだったのかもね」
「離人感が酷くなったのは、私がA型事業所を勧めたからよね。一般就労をしたら、傷付いて、落ちる事があるかもしれない。でもそしたらまた、一緒に悩んで傷付いて、立ち上がれば良いかな☺️」
その言葉を聞いて、心のなかのもやもやが一気に晴れた気がして、嬉しくて、涙が止まらなかった。
これは、その時のカウンセリングで最後にメモした言葉です。
────────ここまで読んで下さってありがとうございました。